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佐々木麟太郎の中学時代は?出身校での野球成績や小学校での記録&幼少期のエピソードも調査!

2021-11-20

佐々木麟太郎の中学時代と出身校での実績

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野球の名門校、花巻東高等学校で「規格外の一年生スラッガー」として大注目されている佐々木麟太郎選手。

 

2021年11月20日に行われた明治神宮野球大会高校の部では、一年生ながらスタメン出場し、一回の第一打席で早くも先制ソロホームランを打ってチームの勝利に貢献しました。

 

この試合で打ったホームランは佐々木麟太郎選手の高校通算48号だそうで、高校一年生の秋ですでに48本ということは3年間の高校野球でいったい何本の記録が出るのか?

 

現在の高校通算本塁打ランキング一位は日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手ですが、もしかしたら清宮越えするんじゃないかなと期待がかかっていますね。

 

花巻東高等学校は甲子園出場回数も11回と、野球の強豪校と言えますので、強者ぞろいなかで一年生で全国デビューというのはなかなかないのでは。

 

中学時代や小学校でも野球をしていたそうですが、当時の成績や記録などはどんな感じだったのでしょうね。

 

そこでこの記事では、佐々木麟太郎選手の中学時代や小学校での活躍などに焦点を当てて調査してみました。

花巻東・佐々木麟太郎が神宮大会で高校通算48号ソロホームラン!スーパースラッガーは中学時代もスゴイ!?

2021年11月20日、明治神宮野球大会高校の部、1回戦が開催され、一打席目で先制ソロを放った佐々木麟太郎選手が大注目されていますね。

 

佐々木麟太郎選手が所属するのは花巻東高等学校野球部で、学校創立以来のスーパールーキーと言われているくらいの大物だそう。

 

花巻東高等学校と言えば、大リーグで活躍する大谷翔平選手の出身校でも有名なのですが、いまや大谷越えもあり得ると言われているんだとか。

 

明治神宮野球大会高校の部一回戦、国学院大久我山との対戦では、3番・一塁でスタメン出場した佐々木麟太郎選手ですが、1回のファーストスイングで豪快な先制ソロを放ち、高校通算48号(公式戦11本、練習試合37本)なんですって。。。

 

かねてより怪物として恐れられていた佐々木麟太郎選手が一打席目でいきなり放ったソロホームラン、相手の国学院大久我山の先発・渡辺投手をはじめ相手チームは「やられてしまった!!!」って感じだったでしょうね。

 

渡辺投手の2球目をとらえた打球はライトスタンドへ吸い込まれるように飛んでいき、神宮初のアーチを見送りながら悠々とホームベースへ走っていく佐々木麟太郎選手には、一年生とは思えないくらいの貫禄を覚えた人も多いのでは。

 

 

明治神宮野球大会は佐々木麟太郎選手にとって高校1年生の秋ですが、その時点で通算48本塁打って、桁が違いすぎて呆気に取られてしまいますよね。

 

歴代の高校通算本塁打ランキングを見てみると、現在日本ハムファイターズで活躍中の清宮幸太郎選手の111本が第一位となっていますが、このペースで行くと佐々木麟太郎選手の清宮越えも時間の問題。。。

 

というか、佐々木麟太郎選手なら2年生の時点で清宮選手の記録を越えちゃうんじゃないかな~?

三年間の通算本塁打数となると、想像できないくらいですね。

 

そんな佐々木麟太郎選手ですが、野球を始めたのはもちろん高校からというわけではなく、中学や小学校時代も日々試合や練習にいそしんでいたそう。

 

高校一年生のルーキーでこれだけの活躍をしているということは、中学時代も、中学野球界でかなり注目を集めていたのではないかということが想像できますね。

 

佐々木麟太郎選手の出身中学校や、中学時代の活躍はどのくらい凄かったのか気になります!

 

佐々木麟太郎の中学時代は?出身校での野球の成績や出場試合&記録を調査!

佐々木麟太郎選手の中学時代の野球の成績や記録をご紹介する前に、出身中学校がどこなのかを確認しておきましょう。

 

佐々木麟太郎選手の出身中学校は、地元岩手県にある

北上立江釣子小学校(きたかみしりつ・えづりこ・ちゅうがっこう)

という学校です。

 

航空写真で見ると、田園に囲まれた自然豊かなところにあるのがわかりますね。

江釣子中学校がある場所は岩手県のほぼ中央部にある和賀盆地で、かつては「江釣子村」だったのが1991年に北上市と合併しているという歴史があるそう。

 

江釣子中学校の2020年度の全校生徒数は353人、北上市内にある9校の中学校のうちでは4番目の生徒数だそうで、大きさは中規模といったところでしょうか。

 

江釣子中学校の運動部は、野球部、サッカー部、バレー部、バスケ部、卓球部、テニス部、陸上部、バトミントン部など全部で10以上あるそうで、運動が盛んな中学校ともいえますね。

 

では、佐々木麟太郎選手が江釣子中学校の野球部に所属していたのかというとそうではないようで、中学時代は岩手県胆沢金ケ崎町の中学硬式野球チーム「金ケ崎リトルシニア」に所属していたそうです。

 

「金ケ崎リトルシニア」とは、大谷翔平選手の父親で、大谷翔平選手を自ら指導し育て上げたことで有名な大谷徹氏が立ち上げた中学生向けの野球チームのこと。

2014年に創部されてから、チームはめきめきと頭角を現し、創部三年目の2017年秋には全国大会出場を決めるなど、東北で新風を巻き起こした有名なチームだそうです。

 

佐々木麟太郎選手が金ヶ崎リトルシニアに所属していた中学時代は2018年から2020年の間で、主将で4番を務めていたそうです。

金ヶ崎リトルシニアが初めて全国大会出場を果たした翌年から所属していたんですね。

 

佐々木麟太郎選手は幼少期から体格も良かったというので、勢いの乗ったチームに入ってきた期待のルーキーとしてかなり活躍したんじゃないかな?

 

そこで、佐々木麟太郎選手が中学時代に出場した主な大会を調べてみたところ、これらの試合に出場しているそうです。

 

  • 2018年リトルシニア東北連盟夏季 1回戦
  • 2018年リトルシニア東北連盟秋季 1回戦
  • 2019年リトルシニア東北連盟夏季 1回戦
  • 2019年林和男杯国際野球大会 3回戦
  • 2019年ボーイズ東日本選抜大会 ベスト4
  • 2019年リトルシニア東北連盟秋季 3回戦
  • 2020年マツダボール旗岩手県支部大会 3位決定戦
  • 2020年リトルシニア東北連盟夏季 3回戦

 

各大会での打順や打率など細かなことは分からなかったのですが、2019年ボーイズ東日本選抜大会では、4番打者として出場し、満塁ホームランを打っているそうで、やっぱり何か持ってるな!という感じがしますね!

 

また、中学時代の通算本塁打数は、正確な数字は本人も分からないそうですがおそらく20~30本は打っているとのこと。

 

佐々木麟太郎選手が中学2年生の時に、メジャーリーグ最多本塁打数(762本)を誇るバリーボンズの打撃フォームをベースとして取り入れ、中学3年生から量産体制に入ったというので、指導者だった大谷徹氏も佐々木麟太郎選手にかなり本腰で向き合っていたのではないでしょうか。

 

守備の面では、中学時代は投手と三塁がメインのポジションだったそう。

スラッガーとして高校野球界に旋風を巻き起こしそうな佐々木麟太郎選手ですが、中学3年生の時はエースで、最速137キロをマークしたこともあるんだとか。

 

変化球はカーブ、フォーク、スライダーを投げ分けるそうですが、高校に入ってからも投球練習はしているそうで、そのスピードは140キロはあるのではと言われているそうです。

 

佐々木麟太郎は小学校でも野球団に所属!野球を始めたきっかけや幼少期のエピソードは?

 

佐々木麟太郎選手の父親は、現在通っている花巻東高等学校野球部の監督である佐々木洋氏というのは野球ファンの中では有名な話ですね。

 

佐々木洋氏は監督就任後チームを甲子園に11回も導いている名監督で、自らが学生時代の時もキャッチャーとして野球に打ち込んでいたそう。

 

そんな父親の元に生まれた佐々木麟太郎選手は、幼いころから野球を始めていたそうで、正確な年齢は分かりませんでしたが、誕生と同時に野球ボールに慣れ親しんできたような環境だったのではないでしょうか。

 

ちなみに、通っていた小学校は地元岩手県、北上市立江釣子小学校。

 

佐々木麟太郎選手の出身小学校である江釣子小学校の生徒数は約590人で、北上市にある17校の小学校の中では3番目に多いそうです。

出身中学校からもわずか2ブロックしか離れていませんね。

 

小学校2年生になった佐々木麟太郎選手は、地元の「江釣子ジュニアスポーツ少年団」に入団します。

 

小学生時代の出場試合や成績、記録などの詳細は分かりませんでしたが、幼いころから体格に恵まれていたという情報もありますので、小学生の頃から現在のような強い打撃力があったかもしれないですね。

 

幼少期のエピソードとして、ちょっと珍しい「麟太郎」という名前の由来に触れておこうと思います。

 

佐々木麟太郎選手の父親・洋氏は、花巻東高等学校野球部の監督ですが、社会科教諭で日本史を担当しているそう。

 

父親の洋氏は日本史に出てくる歴史上の偉人の中でも、特に勝海舟が好きだということで、勝海舟の幼名である「麟太郎」をもらってつけられた名前なんだとか。

 

勝海舟

幕臣として咸臨丸で渡米し、戊辰戦争では幕府側代表で西郷隆盛と会談し、江戸城の無血開城に至る。明治期には政府の要職に就き、初代の海軍卿(大臣)や枢密顧問官などを歴任した。幼名は麟太郎。

 

幕末は日本から海外に視野を広げていた政治家は沢山いたものの、勝海舟のように実際に日本から飛び出して世界を見るような勇敢な偉人は少なかったそう。

父親の洋氏は、佐々木麟太郎選手に「勝海舟のように好奇心や探求心を持ち、偉大な人物になってほしい」という願いを込めてゆかりのある名前を息子に贈ったのかもしれないですね。

 

佐々木麟太郎の中学時代より気になる話題!

佐々木麟太郎の中学時代より気になる話題を集めたので、ぜひ読んでみてくださいね。

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