2023年前期のNHK朝ドラは、神木隆之介さん主演の「らんまん」に決定しましたね。
神木隆之介さんが朝ドラに登場するのは2007年以来だそうで、男性の主人公ということもあり注目度の高い作品になりそうですね。
「らんまん」で神木隆之介さんが演じる主人公の名前は「槙野万太郎(まきのまんたろう)」というそうで、実在するモデルもいるとのこと。
舞台は幕末の日本で、四季折々の美しい自然の中で生き続ける植物を研究してきた有名な植物学者がモデルとなっているそうです。
「らんまん」が始まる前に、神木隆之介さんが演じる槙野万太郎(まきのまんたろう)のモデルとなった人物が誰なのか、どんな人だったのかいち早くチェックしておきたい!
ということで、この記事では2023年前期の朝ドラ「らんまん」で主人公の槙野万太郎(神木隆之介)のモデルは誰なのか、その生い立ちから生涯に残した功績などをご紹介していきたいと思います!
目次
朝ドラ「らんまん」主人公は槙野万太郎(神木隆之介)!日本植物学の父と言われるモデルはどんな人?
【お知らせ】
2023年春スタート予定NHK連続テレビ小説『#らんまん 』への出演が決定しました!春らんまんの明治の世を
天真らんまんに駆け抜けた―
ある天才植物学者の物語。神木は主人公・槙野万太郎を演じます。
よろしくお願い致します!▼神木のコメント&作品情報https://t.co/jct6rU9AVr pic.twitter.com/es7WpuSpSZ
— 神木隆之介 (@kamiki_official) February 2, 2022
毎朝15分間のお楽しみであるNHK連続れテレビ小説、2023年前期のタイトルは「らんまん」で、主演は俳優の神木隆之介さんということが発表されれ、話題ですね。
神木隆之介さんが朝ドラに出演するのは、2007年に放送された「どんど晴れ」で演じた朝倉智也以来だそうで、男性が主人公となる朝ドラは2020年の「エール」の窪田正孝さん以来とのこと。
男性が主人公の朝ドラは珍しい上に、神木隆之介さんも久々の朝ドラでしかも主演ということもあり、かなり注目度の高い作品となりそうですね。
朝ドラは毎回いろいろな人物をモデルとして、その人の生い立ちから残してきた功績など、偉人の生涯を描く物語が多いですよね。
今回神木隆之介さんが主演となった「らんまん」も、多くの朝ドラと同じように実在したモデルがいるそう。
これまでに発表されている「らんまん」のストーリーを簡単に確認すると…
高知と東京を舞台に、主人公・槙野万太郎(まきの・まんたろう)の生命力あふれる人生を美しい草花やみずみずしい里山の情景とともに描く。明るく好奇心旺盛な幼少期を経て学問に没頭。やがて上京し東京帝国大学植物学教室の門を叩き「日本独自の植物図鑑を編纂(へんさん)する」という夢へと突き進む。牧野富太郎の人生をフィクションとして再構成する。
引用:ヤフーニュース
朝ドラ「らんまん」で、神木隆之介さんが演じる主人公の名前は「槙野万太郎(まきのまんたろう)」という人物。
槙野万太郎のモデルとなったのは、植物学者の牧野富太郎(まきのとみたろう)という方だそうで、生涯で手掛けた功績などをたたえ「日本植物学の父」という愛称を持つそうです。
朝ドラは長期間にわたり注目されるため、主人公・槙野万太郎のモデルとなった牧野富太郎がどのような人物だったのか、ドラマ開始前にチェックしておきたいですよね!
「らんまん」槙野万太郎(神木隆之介)のモデルは誰?植物学者牧野富太郎の生い立ちや経歴を調査!
【速報】朝ドラに牧野富太郎 2023年春、神木隆之介さん主演「らんまん」 | 高知新聞 https://t.co/fMngPwyGfN #神木隆之介 #朝ドラ #らんまん
— 高知新聞 (@Kochi_news) February 2, 2022
朝ドラ「らんまん」で、神木隆之介さん演じる主人公の槙野万太郎のモデルとなった人物は、植物学者の牧野富太郎(まきのとみたろう)。
朝ドラの主人公としてその生涯が取り上げられるほどなので、日本の歴史において大きな功績を残してきた人なんだろうなということは分かりますね。
植物などに詳しくない人にとっては、牧野富太郎の存在を「らんまん」で初めて知ったという方も多いのでは。
実際自分も牧野富太郎のことを調べるまでどのような人生を歩まれた方だったのか、全く知らなかったのですが、、、。
まずは槙野万太郎のモデルとなった牧野富太郎の生年月日や出身地など簡単なプロフィールをチェックしてみます。
今年の秋のNHKの朝ドラ、高知県佐川町出身の牧野富太郎さんがモデルの"らんまん"に決定❗️神木隆之介さんが演じるみたいですね!秋に高知で久しぶりに個展をするので、勝手に関連企画をしたいと思います😁 pic.twitter.com/SzyEZW1HC3
— kenjimori (@kenjimori4) February 2, 2022
名前:牧野富太郎
読み方:まきのとみたろう
生年月日:1862年5月22日(文久2年4月24日)
死没:1957年1月18日(94歳)
出身地:高知県高岡郡佐川町
「らんまん」の主人公槙野万太郎のもでる、牧野富太郎は1862年5月22日生まれだそうで、いまから160年前となるんですね。
誕生日が5月22日と4月24日のふたつあるのが気になりますが、その真相は分からなかったものの、昔の人は実際に生まれた日と出生届を出した日が違っていたりと、かなりゆるゆるだったそうなので、牧野富太郎の場合も同じような理由だったのかもしれませんね。
牧野富太郎の実家は高知県高岡郡佐川町(当時は土佐国佐川村)にあった雑貨業と酒造業を営んでいたそうで、生まれた家はかなり裕福だったそうです。
その生涯を植物の研究に注いだ牧野富太郎は、幼少のころから植物が大好きだったと伝えられているそう。
幼い時は成太郎という名前だった牧野富太郎ですが、3歳の時に母親がなくなり、5歳で父が、6歳で祖父が亡くなっているそうで、そのころに名前を「富太郎」に改名しているとのこと。
祖母に育てられることになった牧野富太郎は、10歳の頃から寺子屋に通い、のちに名教館(めいこうかん)に入り、漢字などの読み書きをはじめ、西洋流の地理や天文学、物理学などを学んだと言います。
寺子屋・名教館とは
寺子屋:江戸時代に普及した、庶民の子供に読み書きなどを教えた場所
名教館:家臣の子どもたちに教育を学ばせたいと考えた佐川の領主・深尾氏によって開かれた塾
今から160年前の学校教育ってあまり想像できませんが、一般的な子供が寺子屋などで教育を受けるのは珍しかった方なのでは?
お金がない家庭だと子供に勉強をさせる余裕はないでしょうし、牧野富太郎の実家がどれだけ裕福だったのかが分かりますよね。
牧野富太郎が通っていた名教館は、その後佐川小学校となったそうなのですが、なんと!牧野富太郎はせっかく入学した小学校を2年で中退しているんだとか。
歴史上に名をのこす人物って、ちょっと変わったことをする人が多いですが、小学校中退ってなかなかないですよね。
中退した理由は、家業を継ぐのに学問は必要ないと思ったからだそうですが、小学校を辞めたからと言って家業に精を出していたわけではなく、酒屋は祖母や従業員に任せたまま、自分は趣味の植物採取に明け暮れていたそうです。
そんな生活をしていくうちに、独学で好きな植物の知識をどんどん身に着けていき、15歳の頃には自分が中退した佐川小学校で教鞭をとるようになりました。
17歳の頃には幼いころから学び続けていた植物学で、欧米の知識などに触れさらに植物研究への情熱が爆発!
江戸時代に書かれた植物学書籍「本草綱目啓蒙」を読み感銘を受けた牧野富太郎は、自分もこのような書物を書きたいという情熱にかられ、22歳の時に上京し、さらに植物の世界にハマっていったそうです。
昔の偉人の話を追っていくと、現代人にはない情熱と冒険心、探求心であふれている人が多いなと感じますよね。
上京した牧野富太郎がどうやって「日本植物学の父」と言われるようになったのか、さらに追っていきたいと思います。
「らんまん」槙野万太郎(神木隆之介)のモデル・牧野富太郎の功績や生涯を追ってみた!
2023年春からの朝ドラ主人公は牧野富太郎がモデルですと?楽しみです!!!
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— 汐文社 (@choubunsha) February 2, 2022
朝ドラ「らんまん」の主人公・槙野万太郎(神木隆之介)のモデルとなった牧野富太郎が、本格的に植物を学ぶため上京したのは22歳の頃(1884年)だったそう。
上京後、牧野富太郎は帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)で研究を始め、一緒に研究をしていた大久保三郎や田中延次郎らとともに「植物学雑誌」を創刊します。
「植物学雑誌」は2022年の今でも刊行されている植物学誌で、日本で一番古く権威ある雑誌なんですって。
その後日本で初めてとなる新種のヤマトグサを故郷高知県で発見し、学名を付けて植物学雑誌で発表するなど、日本の植物学会においてめざましい功績を残します。
しかしその一方で、研究や書籍の刊行などでお金を湯水のように使い、実家の家業の経営に影響を及ぼす程だったそう。
一度没頭してしまったら、お金のことも構わず突っ走ってしまうような性格だったのでしょうかね・・・?
東京と故郷の高知県をいったりきたりする生活の中で、牧野富太郎は27歳で妻の小澤壽衛子(すえこ)と結婚します。
2人の間には13人の子供が生まれたそうですが、育て上げたのは3男4女の7人だったそうで、幼い頃に命を落とした子供たちもいたということなのでしょうね。
結婚後は東京に家を構えるも、研究を続けていた帝国大学理科大学の植物学教室への出入りを禁止され、高知県に一旦帰郷しますが、数年後に主任教授が矢田部氏から松村氏になったことで、呼び戻される形で助手として働くことになります。
実家の家業はすでに廃業していたため、助手としての給料だけで家族を養わなければなりませんが、研究やそれに関する書籍などは値段を気にせずどんどん買っていたそうで、家賃を払うこともできない時期があったそうです。
妻のすえこさんはどんな気持ちだったのでしょうね??もし旦那がお金にならない仕事で、さらに借金するほど没頭していたとしたら、自分なら三下り半を突きつけちゃうかも、なんて思ってしまいますが…
「日本植物学の父」と言われる牧野富太郎があるのは、妻のすえこさんの支えのおかげなのでしょうね。
妻のすえこさんへの愛情や感謝の意を込めてか、54歳ですえこさんがなくなった翌年、新種の笹に「スエコグサ」と命名しているそうです。
東京帝国大学理科大学講師として、50歳から77歳まで在籍し続けますが、学内からは学歴もないのに大学で講師をしている牧野富太郎への風当たりは冷たかったそう。
それでも大学にとって必要な人物とされてきた牧野富太郎は、助手の時代を含め合計47年間大学で働き続けました。
1953年、牧野富太郎が91歳の時に東京都名誉都民となりますが、そのころから病気がちになり、1957年に94年の人生に幕を閉じました。
牧野富太郎が生涯で命名した植物は「スエコグサ」を始め合計2500種類以上で、自らが発見した新種は600種もあるとのこと。
牧野植物園のイベントでもらった学習帳。「何で数ある発見の中からムジナモ?」と思ったら、中身が無地のノートだった!そして裏面には先生のスケッチ!素晴らしいセンス。 pic.twitter.com/xZMwJzJljE
— 黒詰 (@kurotsume3121) February 2, 2022
牧野富太郎命名の植物
- ムジナモ
- センダイヤザクラ
- トサトラフタケ
- ヨコグラツクバネ
- アオテンナンショウ
- コオロギラン
- イヌノフグリ など
また、牧野富太郎が刊行した書籍や雑誌は、、、
続いては、【植物学雑誌】!
植物学雑誌は、1887年から1971年にかけて日本植物学会から出版されていた長い歴史を持つ学術雑誌です。
『いてふノ精蟲』に登場する平瀬作五郎の論文『いてふノ精蟲ニ就テ』を始め、池野、牧野、矢田部、松村らの論文が多数掲載されています! pic.twitter.com/cb41KDzsX9— 川越高校演劇部 (@Kawatk_drama_c) November 7, 2019
ポイント
- 植物学雑誌
- 日本植物志図篇
- 大日本植物志
- 植物研究雑誌 など
植物一筋の生きざまのような印象を受ける牧野富太郎ですが、実は趣味が音楽だったそうで、自ら指揮をし演奏会などを開いていたこともあるそうです。
地元では植物学だけでなく、ふるさとの音楽普及にも一役買っていたというから、普通の人じゃないなと。。。
日本は自然豊かで、四季折々の様々な植物が楽しめる美しい国ですが、そんな日本植物学の基礎を築いた牧野富太郎が、モデルとなった朝ドラでどのように描かれていくのか、今からとても楽しみですね。
「らんまん」槙野万太郎(神木隆之介)のモデルは誰かより気になる話題!
「らんまん」槙野万太郎のモデルは誰かより気になる話題を集めたので、ぜひ読んでみてくださいね。