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ヴィヴィアン佐藤とは何者?異色のドラァグクイーンの正体は?wikiプロフィールで経歴をチェック!

ヴィヴィアン佐藤は何者

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人類の多様性がさけばれる中、マイノリティと言われる人々が公に出ることは、同じ状況で悩んでいる人に沢山の光を与えることができますよね。

最近ではメディア露出が増えたように感じるドラァグクイーンと言われる人々も、まだまだ珍しい存在として見られているのは事実。

そんなドラァグクイーンという強烈な外見を持ちながら、高校や大学の壇上に上がり、公の場で活躍しているヴィヴィアン佐藤さん。

ひと目みただけでインパクト大!忘れることのできない外見で「いったい何者?」と、どんな人なのか知りたくなってしまいます。

この記事では、ヴィヴィアン佐藤さんはいったい何者なのか、プロフィールや経歴をまとめてみました。

ヴィヴィアン佐藤とは何者?異色のドラァグクイーンが高校の壇上に上り生徒騒然?

 

東京都荒川区にある私立の中高一貫男子校・開成高校や、同じく東京都の私立大正大学などで客員教授も務めるヴィヴィアン佐藤さん。

 

上の画像は実際に開成高校で授業をした時のものだそうです。

 

みんな同じ制服を着て、そろって体育すわりをしている生徒の中にいると、ヴィヴィアンさんの派手さがさらに引き立ちます。

 

しかも校長先生にご自身のデザインした「頭上建設」と呼ばれるヘッドドレスをつけさせている。。。

校長先生もうれしそうな顔をしていますね。

 

東京は世界の中でも特にいろんな種類の人間が行きかう都市。

とは言え、高校生男子が本物のドラァグクイーンから授業を受けるということはかなり珍しいですよね。

 

一体どんな話をしたのか、高校生男子でなくても一度聞いてみたいもの。

ご本人のインスタグラムでは、この授業で

 

・高校生の時に自分の体の中に一匹の犬を飼っている感じがしたこと。

・ジャンルにとらわれない仕事につきたかったこと

・目的を持てばどんな職業も実現する

・ウィキペディアを信じるな

・歴史上おおきく語られる勝者でははなく、見えない敗者に耳を傾けること

・着飾ることは本来の自分に戻る行為

・現在の中に過去と未来が既に含まれている

・映画を誤読する

・映画をフィクションの「作品」として終わらせず、感じたことを現実社会で活かすこと

 

 

などをお話しされたそうで。

 

・・・ちょっと哲学的すぎて、これだけでは何のことやら分からないのが正直な感想。

ますます授業を聞いてみたくなっちゃいますね。

 

ヴィヴィアン佐藤の正体をwiki風プロフィールでチェック!

 

その見た目から年齢やプライベートの素性など全く想像ができないヴィヴィアン佐藤さん。

本当の顔が分からないほどお化粧しているので、謎だらけですね。

 

そんなヴィヴィアン佐藤さんの生年月日などプロフィールを簡単にご紹介すると。。

 

本名:不明

生年月日:1945年7月10日

年齢:76歳(2021年7月時点)

出身地:宮城県

血液型:AB型

 

え、ヴィヴィアン佐藤さん、年齢は76歳!?

外見以上に年齢にビックリしてしまいますね!

 

話している声やしぐさがわかる動画がこちらですが、

76歳という年齢を全く感じさせないですよね。

 

宮城県仙台市出身のヴィヴィアン佐藤さんは、幼いころから美術が大好きだったそう。

6歳の時に買ってもらった水彩道具を肌身はなさず持ち歩いていたというから、相当のものですね。

 

家族から「男」として育てられることに違和感を感じていたといい、かといって女になりたいという気持ちも持っていなかったと言います。

 

次第にお化粧に興味を持ちだしたヴィヴィアンさんは、大学時代にゲイバーでアルバイトをすることに。

そこで出会ったママから「男でも女でもない」ドラァグクイーンという生き方を教わったそうです。

 

お化粧をし、着飾ることにより本来の自分に戻っていくような開放感があるというヴィヴィアンさん

 

同じ様に自分の中に違和感を感じたまま年を重ね続ける人もいる中で、本来の自分を取りもどし、ありのままに生きていく。

周りの目を気にしすぎる日本人気質の自分にとっては羨ましいなと感じる面もあるな~なんて思ってしまいます。

 

ヴィヴィアン佐藤の経歴がすごかった!マルチな肩書に驚愕!

 

ドラァグクイーンとしてのインパクトが大きすぎるヴィヴィアン佐藤さんですが、「いったい何者」と世間から言われるそのわけは、華麗なる経歴とのギャップにあるのではないでしょうか。

 

ヴィヴィアン佐藤さんの出身高校は地元宮城県の仙台第一高等学校。

高校を卒業した年は1964年になると思うのですが、そのころの詳しい情報は見つけることができませんでした。

 

芸術家として名が知れるようになったのは1990年代頃からだそう。

金沢舞踏館舞台美術やドイツ、フランスパリなどの各芸術祭に参加するなど、そのころから世界でも活躍されていたそうです。

 

1996年、金沢工業大学大学院で建築を学んだあと、大分県出身の建築家・磯崎新氏の事務所で2年間勤務。

 

その後フリーとして活動をはじめます。

 

主な仕事に東京を中心としたファッションブランドの店舗のウィンドウディスプレイや、ショップの内装を手掛けたりという建築関係をはじめ、

・美術家として展覧会に作品を出展

・家具やキーボードなどの製作

・書籍の挿絵やカバーイラスト担当

・雑誌や映画評論誌での連載

・高校や大学で客員教授や講演活動など

 

かなり幅広い活動をされているそうです。

 

ヴィヴィアン佐藤さんの活動を肩書として並べてみると「アーティスト」「イラストレーター」「パーティイスト」「ドラァグクイーン」「文筆家」「映画評論家」などが挙げられるんだとか。

 

肩書が多すぎて、いっそのこと職業は「ヴィヴィアン佐藤」でひとまとめにした方がいい位ですよね。

 

おわりに

謎多きドラァグクイーン、ヴィヴィアン佐藤さんは有名でちょっと変わったアーティストということが分かりました。

公的機関や施設からの依頼や招致も絶えないそう。

ヴィヴィアン佐藤さんのようなちょっと変わった、でもアイデンティティを確立している人の活躍が公になることは、必要なことなのかも。

多様化が進む現代において様々な良い影響を与えてくれそうですね。

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